働く男

私は、文章を読むが好きだ。もちろん小説も好きだか、エッセイが特に好きだ。何も考えず気軽に時間の空いた時に読めるものだと思っているからかもしれない。

 

星野源の『働く男』を読んだ。彼の『いのちの車窓から』を読んでからどうにもこうにも彼に夢中になってしまう。それはなぜなのか。理由は明白だ。私が理想としていた憧れ抱いていた人物像にかくも一番近い人物だからである。

 

私は、文章を書くのが苦手である。感情に任せて指を動かすのは得意だ。まぁ、誰に伝わらなくてもいいと思いながら書いているから、そもそもクオリティはどうでもいいのだ。だからこれに関しては得意と言ってもそうでないといっても自分の中ではどうでもいい。しかし、人に伝えたいというよくが出るとどうもこうもうまくいかない。

 

彼も文章を書くのが苦手だと常々その書籍の中で表現している。

しかし、非常に疑わしい。なにせ、彼の文章に引き込まれてしまう。

 

私もそんな文章が書けるようになりたい。

私の頭の中もワンダーなのだ。それは間違いない。

自意識過剰だと思われるかもしれない。

でも、私の頭の中をみんなに投影できるような、そんな錯覚を起こせるような、そんな文章が書けるようになれるといい。そうすれば、少しは自分の存在意義を見出せるかもしれない。

 

そして、私が憧れてたまれない理由のもう一つが、音楽である。

私は今までずっとガチガチの体育会系のなかで育ってきた。ずーっとだ。

中高はバスケに熱中し引退したとたんに燃え尽き症候群になり学校に行けなくなった。ほんとに馬鹿なやつだと今振り返ればわかる。でも、その時の自分にはバスケしかなかった。桜木花道張りだ。いやどちらかというと三井寿かもしれない。彼に自分を投影してしまう。私はたいしていい選手ではない。むしろ悪い。まず実力がない。そしてあがり症。スポーツ選手としては最悪だ。それでもやる気だけはあった。死ぬほど負けず嫌いで責任感も人一倍あった。選手として優秀じゃないという以外私は三井寿そっくりである。背番号も14、安西先生のような心の師もいる。そして、最後まであきらめない男である。中学校時代の三井寿そっくりだ。そして、いま。24歳現在。私の中の三井寿高校バスケに夢を見るも膝の怪我さいなまれひねくれたままだ。見事にひねくれている。私も早く短髪の三井寿に近づきたい。でも、もう運動をする気は甚だない。もっと面白いものを見つけたからだ。

 

音楽だ。

 

楽しい。楽しすぎる。もっと早く気づけばよかった。一生の趣味にしたい。音楽を。ギターを買った。まだ弾けない。もっとうまくなったら自分の曲を作りたい。今まで、燃え尽き症候群になった時から止まっていた時間が、なんとなく少しずつ動き始めたと思う。

 

安西先生、音楽がしたいです。」

 

まったく。この文章を明日見たら絶対に恥ずかしくなる。

こんな世界にこのしょうもない自己満の文章を解き放って。

誰も見てないとわかっていても恥ずかしい。まったく。

何で自己承認欲求が図々しいやつなんだと自分でも思う。

でも、書いている時間がとてつもなく今は楽しい。

 

幸せだ。

 

未来の自分、絶対この文章を消すなよ。

きっと一生話のネタにできるよ。

じゃあ、また。